ユネスコ世界遺産に登録されている
マウルブロン修道院。
修道院といえば
これ↓
ビールです^-^
(Noriko, Hiroko, Keiko. from left)
12世紀、修道院はビール醸造技術者の養成機関でもあったそうです!(◎o◎)
頭脳明晰な修道僧達は、
古文書から得られるビール作りの技術を体系化しました。
師から弟子へと秘訣を伝授し、
年月と共にビールの醸造技術を高めていきました。
評判の修道院ビールは市場で高価に取引され、
修道院の貴重な財産になっていたそうです。
という↑非常に貴重な情報は
オーディオガイダンスでも
案内書でも
教えてくれませんでした( ̄▽ ̄)
シュトュットガルトから
のどかな小麦畑や菜の花畑、
数々の森を抜けて
車で約一時間。
6千人しか住んでいない
小さな村。
夜は闇に包まれて
さぞかし
真っ暗闇。
そのような
マウルブロン村に創設された神学校に
あの『ケプラーの法則』のヨハネス・ケプラー(1571-1630)
あの 『車輪の下』『知と愛』などを執筆したヘルマン・ヘッセ(1877-1962)
あの『ヒュペーリオン』を書いたフリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843)
などの
ドイツ出身で世界的歴史的存在の天文学者、文学者、思想家が学んでいました。
ヘッセは 自伝的小説『車輪の下』にて神学校を脱走し連れ戻されたことを書いています。
それが
このマウルブロン神学校(修道院)だったのですね!(◎_◎;)
『知と愛』では、変名して『マリアブロン修道院』が舞台になってます。
多感な時期をこの神学校で過ごしたことにより
『精神』(神学者としての精神、思索家としての精神、芸術家としての精神など)のあり方について
ヘッセは一生自問自答していくことになったのではないかと
わたしは感じました。
マウルブロン修道院は四面しっかりと高い城壁で囲まれています。↓
そして
修道院といっても、
礼拝堂があるだけではなく、
様々な施設があり
黒い森の闇の中に浮かぶ修道士達の町であったようです。
12世紀半ばに修道士達に設けられ、
現在でも礼拝所、製パン所、家畜小屋、守衛小屋などの施設残っています。
この↑奥のパラディースと名付けられている回廊は
ゴシック式建築です。
伝説によれば、この↑噴水のある場所をラバが泉を掘り当てたそうです。
天井にはラバの絵が描かれています。(写真では見えません(⌒-⌒; ))
町の名マウルブロン(Maulbronn)は、ラバの噴水(Maul=馬やラバの口、Bronn=噴水)に由来しているそうです。
下のアーチ部分は半円形のロマネスク建築で、天井はゴシック建築の礼拝堂↑
35のレジスター(ストップ)と
3つのマヌアル(手鍵盤)
ペダル(足鍵盤)付きです。
祭壇の後方にある、素晴らしい木造彫刻の聖歌隊席です↑
この木造彫刻
精巧かつ緻密で
もの凄く心に強く迫ってきます。
グレゴリア聖歌を
重々しく
厳かな気構えで
歌ったのであろうと
神気が伝わってきます。
修道院の中は
どこもかしこも
寒いです。
体を温めることの出来た場所は
ここ中庭↓です。
太陽ポカポカ
マグノリアも気持ち良さそうに揺れています^-^
大好きな先輩達も
気のせいか
暖かい中庭では
オーディオガイダンスを
しっかり時間をかけて
聞いておられます^-^
そういう純子が
一番しぶとく
中庭から
出ようとしませんでした (⌒-⌒; )
修道院内は底冷えが凄まじくて... (⌒-⌒; )
(beutiful Hiroko right, pretty Noriko left)
(lovely keiko)
オーディオガイダンスを聞きながら廻ると
1時間半くらいかかります。
手も鼻も足先も
凍ったかのように
冷たくなってしまいます。
なので、
修道院をしっかり観た後は
修道院ビールで
暖まって下さい^-^
以前は鍛冶場だったらしいというレストランでの一杯が
一番上の写真です。
わたしは暖かいココアを飲みました^-^